2006.3.30
ハバナ日記8
ハバナ最終日。
朝、ホテルの外でホーヘが待っていたので驚いた。来るとは言っていたけどまさか本当に来るとは思わなかった。
朝食後、一緒に近くのビーチに行く事にする。ホテルから歩いて行けるところにあるそのビーチは、行ってみると現地人専用で、外国人は入れないと言われた。仕方なく少し離れたところのビーチにタクシーで向かう。
この日は結構暑くて、天気も良く、水温もそれほど低くなかった。砂浜は前に行ったところ程広くないが、波は穏やかで泳ぎやすく、潜ると色とりどりの魚も見れて、とても良かった。こういうのを期待してた。
帰りにスーパーに寄ってお土産を買い、ホテルに戻ると、ビエンナーレのオフィスから連絡があり、アートセンターから車で空港に送ってもらうように前日約束したのに、ホテルに車が来るからホテルで待っていろと言われた。ビエンナーレのまだ見ていない展示もあったし、ハバナ市街をもう少し見たかったのに、有無を言わさずホテルで待機。ホテルを出なきゃならない時間まで3時間はあるのに、何をする事も出来ず、ホテルの女の子と撮影大会。
空港への車には税関の人も乗っていて、持ち帰る道具類を一つ一つ書類と照らし合わせてチェック。書類に4回サイン。入国のときもそうだったけど、本当に面倒くさい。
空港では、チェックインの荷物を一つ一つビニールでカバーしていて、そのせいでものすごい長蛇の列。早めに来ていて良かった。
パリに着いて、最初にした事は、偶然見つけたとらやのパリ支店で、緑茶を飲んだ事。なんだかほっとした。

今回のキューバの旅は、普段の常識では思いも寄らない事が普通に起こる、面白い旅だった。観光地だけを見ていれば楽園のような場所かもしれないが、やっぱり文化の違い、人々の貧しさには、考えさせられた。お金やものがあれば幸せになれる訳ではないし、キューバの人々は彼らにしかない豊かさを持っているのだとも思うが、外国人である自分と、現地人の彼らは徹底的に隔絶した世界に住んでいるのだという感じが、深く残った。日本が貧困層の異常に少ない国なのかもしれない。オランダに2年以上住んで、オランダで外国人として生活する事に慣れていたから、そのギャップが大きかったのかもしれない。ライクスにいるキューバ人アーティストも自分たちとは変わらない感じだったけど、彼らはきっと一握りの選ばれた人たちなのだろう。
今回のビエンナーレのテーマは、「Dynamics of Urban Culture」だったけど、ハバナは、いわゆるurban cultureのある世界の大都市とは違っていて、そこで世界各国から来たアーティストがurban cultureに関する作品を見せている事になにかズレを感じた。ニューヨークには行った事が無いけど、ベルリンやパリや東京にあるような大都市のDynamicsが、同じ様にハバナにあるとは思えなかった。展覧会全体としては、首尾一貫性があって、会場の空間もそれぞれの作品もなかなか良かったとは思うが、他のどこの都市とも違うハバナで、他のどの国際展とも違う違和感の無いビエンナーレをハバナですることは可能なんだろうか。もっとハバナならではのテーマの設定が出来るはずだと思う。








2006.3.29
ハバナ日記7
ハバナ5日目。
朝食をとりながら同じホテルに滞在しているアーティストと話していたら、前日の夜パーティーは10時からやっていた事が判明。
しかもなまバンドの演奏等もありなかなか良かったとのこと。
昨日にも増してがっかり。
2倍がっかり。

ホテルの近くの、元ゴルフカントリークラブの敷地が今は芸術学校になっているところを見に行った。有名な建築家の設計だとかで、建物が独特。巨大な敷地の中に、林あり、小川ありで、ハバナ中心部の街の感じと比べると、なんだか楽園のよう。

下の写真は敷地の端にあった大木。樹の前に立って小さく写っているのは自分です。







この芸術学校は、美術、音楽、ダンスなどいろんな分野の学生がいて、外で楽器を吹いている学生や大きい彫刻を組み立てている学生等もちらほらいる。奥の方へ入って行くと、ドラムの音に合わせて歌声が聞こえて来て、建物の中をのぞくとダンスの練習中。民族的な感じの奴隷の踊りを起源にしたような感じの踊り。カポイエラにも似てる感じ。

何年か前の台風でかなりのダメージを受けたらしく、あちこちで補修作業をしていた。







この日はこの芸術学校でジャン・ヌーベルの名誉教授の授与式だかがあり、レクチャーなんかもあってビエンナーレ関連の人々も来ていて、実は彼らがバスでハバナ中心部に戻るときに便乗しようというのがねらいだった。その会場に行ってみるとちょうどレクチャーが始まるところだったが、面白くなさそうだったので、ホテルのレストランに戻って昼食を食べて帰ってくると、レクチャーは終わって、ヌーベル氏を囲んでパーティーが開かれていた。山盛りのごちそうと果物を前に、やっぱり食べない訳にはいかない。おなかいっぱい。なんだかこういうふうにいつもタイミングが悪い。
やっぱりタクシーで行けば良かったと少し後悔するほどバスが出るまで待たされたけど、なんとかその場を後にし、次のオープニングの会場の革命広場の近くにある図書館のギャラリーでの写真の展示をざっと見て、団体と分かれる。先日行けなかったカバニャ要塞にもう一度行く。今度はバスではなくタクシーで。
オープニングの時に見きれなかった残りの作品を見た後、アートセンターのオフィスに行き、翌日の飛行場までの車、作品の送り先、持ち帰る道具等を確認。







前日にもう閉まっていて見れなかった会場の展覧会を見に行く。Convento de San Franciscoという所で、古くて美しい建物。
近くにあるはずのシリンネシャットの展示会場に行く途中で黒人の青年に話しかけられ、一緒に話しながら歩いた。ホーへと名乗る彼は、英語を勉強中らしく、英語で誰かと話がしたいらしい。でも彼はいつも僕たちの数歩手前を離れて歩く。なぜか聞いてみると、一緒に歩くと警察につかまるから、ということだった。現地人と観光客が通りを一緒に歩くのは違法だなんて。
ホーへは英語を話せるといっても、片言程度。展覧会を見に行く、と言うと、案内するよ、と言って連れて行ってくれたところは何かの展覧会の会場ではあるらしいが、自分たちが行こうとしていた場所ではなく、しかも既に閉まっていた。気を取り直して目的地のシリンネシャットの会場を探してやっと見つけたが、そこも既に閉まっていた。
近くにあるギャラリーでのオープニングまで時間があったので近くのバーで飲み、出て来たところでホーヘが警察に呼び止められた。
僕たちは離れたところで見ていたが、しばらくするとこっちへ来て、罰金取られるけど金が無いから貸してくれと言う。彼の言っている事が本当なのかそれとも金が欲しいのかわからないが、こちらも生憎現金を切らしていて両替できるところを探していたところだった。とりあえず彼とは別れて歩き回り、銀行を見つけて両替をするとホーヘが外で待っていた。ここまでくるとどうかとも思ったが、金をくれとも言わないし、一緒にギャラリーのオープニングに行った。
かなり広い空間で高い天井、大理石の床、でもなにもない。作品はどこ?と思ったら床にぽつんとバナナの皮と石けんとグリースが落ちていた。三大滑りやすいもの、ってこと?
飲み物を運んでいたウェイターが実際バナナの皮を踏んで転びそうになっていたので面白かった。 レセプションなので飲み物や食べ物が振る舞われ、ホーへも大喜び。こういうところに来るのも初めてらしい。こういう場所は庶民には開かれていないんだろうか。そういえば、前日のアートセンターでのオープニングでは、人々が飲み物のテーブルに殺到していた。
前日閉まっていたコンサートホールに少し遅れて行くと、今度はちゃんと開いていて、演奏も聴く事ができた。ピアノやクラリネットのフリージャズのような演奏とビデオの映像の組み合わせで、なかなか面白かった。着いて来たホーへは入ってすぐに興味を失って出て行ってしまった。ロジェはレセプションで飲み過ぎて具合が悪くなりトイレに行ったまま戻ってこなかったので、一人でしばらく見てから心配になって探しに行ったら、二人は同じ建物の中のバーに座っていた。コンサート会場に戻るともうコンサートは終わってしまっていて、そこで会ったドイツ人のアーティストと一緒にバーに戻ってしばらく話した。
ロジェは何度もトイレとの間を行ったり来たりして、ホーへはただでもよくわからない英語をさらに訳の分からない感じで何か話し続けていて、ドイツ人は呆れていた。
ホーへの家は反対方向なのにタクシーに一緒に乗り込んで来て、ちょっとやりすぎだと思う。案の定、帰るための金が足りないと言って、彼のタクシー代を払うはめになる。






2006.3.28
ハバナ日記6
ハバナ4日目の朝は、ウィフレドラムアートセンターで、スペンサー・トュニックというアメリカ人アーティストのオープニング。
始まるまで時間があったので近くのカフェに行くと、トロピカルフルーツの盛り合わせがメニューにあったので注文してみると今日はないと言われた。ハバナに来て、あんまりそれらしいものをまだ食べていない。でもグワバのジュースはあったのでそれとアイスクリームを食べた。
オープニングはすごい人で、スピーチはやっぱりスペイン語で、展覧会がオープンしても人が多すぎてなかなか中にも入れないし、別のところを見に行こうか、と話していたところで空き始めたので人をかき分けて展示を見た。
パフォーマンスをやっているという広場に行ってみると竹馬の大道芸に出くわして、最初はこれがパフォーマンスなのかと思ったけどどうも違うらしく、ぶらぶらしているうちに偶然入った建物の中庭のようなところで大きな風船を膨らましているのを見つけた。
いつもそうだけど、本当にわかりづらい。地図も曖昧だし、そこへ行ってもそれらしきサインも何もない。
それはともかく、プログラム通りにオープニングのある展示を見に行ってもスペイン語のスピーチで人がいっぱいでどうにもならないということを学んだので、これからはもうプログラム通りには見に行かない。
その場に居合わせた他のアーティスト、中国人、インド人、イスラエル人、トリニダード人、そしてオランダ人と日本人の自分という国際的な顔ぶれで、ベトナム風キューバ料理のレストランに行った。
ガイドブックに載っていた安くて近いところを選んだのだが、ここは当たりだった。安くてなかなかうまいし、室内バンドもあった。
もう少し奮発してロブスター食べれば良かったかなと今でも思う。







ビエンナーレ以外のものも見ておこうということで、他の人と別れて国立美術館と革命博物館を見に行った。
美術館の建物はきれいで大きいけど、キューバのアーティストの民族的な作品は白くて清潔な空間には合わないと思った。
革命博物館は戦車とかミサイルの実物を展示していて間近で見る事ができた。
先日のカバニャ要塞の展示は半分も見れてなかったので、見に行こうと思ってバスを待っていたらいつまでたっても来ない。
乗り場がまた違うのかと思って歩き回ってみてもぜんぜんわからない。
仕方なく別の展示を見ようと思って来た道を戻ってその場所を探したけどそれも見つけられず、もう一つ別の場所をやっと見つけた、と思ったらもう閉まっていた。無駄足だった。
プログラムをもう一度見て、オープニングから少し経ったくらいの所を見つけて行ってみたら入れた。
建築家ジャン・ヌーベルの展覧会。そう言えば東京でもっと大規模な展示を見た事があるな。
8時からのパーティーの招待状をもらっていて、それまで時間があるし、腹も減っていたので会場の近くのレストランで夕食。
鶏のキャセロール。これはうまかった。でも、ガイドブックには6ペソって書いてあったのに10ペソプラスサービス料まで取られた。
8時になってパーティーの場所に行くと、ドアは閉まっていて、聞くところによると10時に変更になったらしい。
2時間もどうしろって言うんだ。
プログラムを見ると8時半から少し離れた場所でビエンナーレ関連のコンサートがあるらしかったので、急いでタクシーに乗り、会場のホールに向かった。着いてみると電気は全部消えていて、どう見ても何かがある感じではない。
ドアのところに立っているガードマンに聞くと、「明日」と言われた。
なんてこった。
二人とも脱力。
とりあえず目の前にあるカフェに座って飲む。
見ていると他にもコンサートがあると思って来てがっかりしている人が他にもけっこういる。
ビエンナーレに参加しているアーティストらしき人がいたので話してみると、なんと今晩のパーティーも実は明日になったと言う。
もうなにがなんだかわからない。
仕方なくホテルに帰ってふて寝。








2006.3.27
ハバナ日記5
ハバナ三日目。
作品の設置も終わったし、この日の夜のオープニングまではイベントも無いし、天気もいいし、早速海にでも行くか、と言って、朝、のんびりしていたら、街に行くビエンナーレのバスが突然やって来た。
朝飯とタクシーだったらタクシーの方が高い、ということで、バスに乗って行く事にした。
そしたらバスは、ただ街へ行くだけじゃなくて、これからハバナの美術学校を見学に行くということらしい。いつも本当に動きが読めない。って言うより何かを事前に知らせてくれるということがほとんどない。
なにかのおまけみたいな朝食でも、やっぱり食べないと腹が減って動けない。アートセンターに停まって誰かを待っているときに急いで降りてビスケットとジュースを買い、バスの中でむさぼる。 ハバナの中心部からバスで15分くらいの所にある美術学校は、とても開放的な感じ。気候が温暖だから窓とか戸とか開けっ放しで、建物も風通しのいい感じの造りになってるのもあると思うけど。 キューバでは十代の前半から専門の分野に分かれて勉強するらしい。でもそんなに早いうちに本当に自分のやりたい事がわかるんだろうか。
それにしても、学生っぽい作品って、世界共通なんだなっていうのをオランダ人のロジェと共感。
下の写真の手前に見えている屋根は、この学校の若手先生の中庭を使った大掛かりな作品のインスタレーションで、まだ制作途中。地面に水を張って、家が水没したような感じになるらしい。







美術学校からの帰り道、信号でバスが停まって、それからエンストして、動かなくなった。どうしたのかと思ったら、どうやらガス欠らしい。そして停まったのは、道のど真ん中だけど、ガソリンスタンドの目の前。運がいい、と思ったけど、いつまでたってもバスは動き出さない。バスの運転手がガソリンを帰るだけのお金を持っていなくて、手こずっているらしい。この日到着したばかりのアメリカ人のアーティストが乗っていて、彼はすぐにホテルに行きたいらしく、「俺が払うからいいよ」と言ったらしいのだけど、社会主義国というのはそういうわけにもいかず、その場にいたビエンナーレのスタッフがお金を出し合うにも、電話で連絡をとってそうしてもいいか許可を取って、と、いろいろやっていて、もう街からそんなに遠くないし、歩いて行くか、と言っているところで、代わりのワゴン車が到着。
街に戻ってお昼を食べて、アートセンターのインフォメーションで近場でどのビーチに行ったらいいか聞いてみた。
それほど近くには手頃なビーチは無いらしく、タクシーで行くと高そうだったので、バスで行けないかどうか聞いてみたら、彼は「バスワドロガオオイ」と言った。最初日本語で言ってるんだと気づかなかったけど、彼は「バスは泥棒が多い」と言いたかったらしい。日本に住んでた事があるらしい。キューバではキューバ人にとってはまだビーチに行くような季節じゃない。だからこのインフォメーションの人も冗談かと思って冗談半分で受け答えしていた。
それはともかく、仕方なくタクシーでビーチに向かう。こういう時、一人で来なくて良かったと思う。
やっと来た、カリブ海。やっぱり海の色が美しい。でもこの日は風も強くて、まだそれほど暑くなく、水温も少し冷たくて、最後には北海道の真夏の海で泳いで震えてるのと同じような状態だった。それでも景色は楽園で、気持ちよかった。







ビエンナーレのオープニングがあるカバニャ要塞へ戻る。
ここもハバナの観光名所の一つ。展示作業には来ていたけど要塞はまだ見て回っていなかったので、しばらく歩いて回る。
もう展示を見れるのかと思ったら、まだ扉が全部閉まっていて入れなかった。
広場に人が集まり始め、スピーチが始まったがスペイン語。
何か食べようかと思ったら食べ物の屋台の前は人だかりで、しかもあんまり安くないから、いつもの鶏肉のレストランで食事。







食べてるうちに、ステージで音楽が始まり、華やかな衣装のダンサーたちが踊りだした。急いで食べ終えて広場に行き、踊りの輪に加わる。
やっぱり音楽がいい。

夜9時に大砲を鳴らす儀式があり、それを合図に展覧会がオープン。
広い会場なのに、なぜか10時で閉場。1時間で全部見れるわけがない。
なんだか要領悪いな。前から開けておけばいいのに。
でも帰りのバスが10時に出るので仕方なくそれに乗って帰る。
最後に自分の作品のところに見に行ったら、みんな喜んで遊んでいて、なかなか好評だったようで嬉しかった。






2006.3.26
ハバナ日記4
ハバナ2度目の朝。少ない朝食にも慣れて来た気がする。
前日のようにバスが来るんだと思って待っていたら、10時になっても来なくて、仕方なくタクシーで他の人と乗り合わせて行く事になる。 前日オーストラリアのアーティストに聞いた通りに、アートセンターのインフォメーションに行って、招待状とカタログ、その他、プログラムなどを一揃い受け取る。でもとにかく作品の設置を終えない事にはどこにも行けないけど。
アートセンターの前で、カバニャ要塞に行くバスを待っていて、時間になっても来ないな、と思っていたら、「バス待ってるの?あっちだよ」と言われてその人について行ったらそこにバスはあって、5分遅れてたけど乗る事ができた。ビエンナーレが出してるバスなのに、そんな表示はどこにもなくて、もしこの人が教えてくれなかったら、同じ場所で延々を待っていたかもしれない。
作品の設置は思ったよりも早く終わった。床のタイルを光を投射する四角形に利用したので、サイズを測る手間が省けたし、投射する隣合った四角の境目をいつもより厳密に調節しなくても済んだ。よし、これでバレエを見に行けるぞ。
展示のためのスタンバイをどういう風にするかを説明するために、アートセンターに戻る。ここで、やっと自分担当のキュレーターに会えた。やっとまともに話が通じる人に会えた感じ。この人に最初に会えていれば、物事はもっとスムーズに行ったはず。
話していると少し長くなって、バレエの開演時間に少し遅れて行ったら、ドアが閉まっていてもう中に入れなかった。せっかく招待状もらったのに。他にも遅れて来てる人がいてドアのところで交渉してるみたいだったから何とかなるかと思ったけど無理そうだったので諦めて、街の中を歩いてみる事にした。
しばらく歩いていると、おじいちゃんが話しかけて来た。僕が日本人だとわかると喜んで野球の話をし、とても親しげに肩を組んだりしてくるが、言っている事の半分も理解できない。日本のお札だかコインだかが欲しかったみたいだけど、生憎持ってなかった。札持っててもあげないと思うけど。






ガイドブックに載っていたレストランに行こうとして、入り口のところで青年に声をかけられた。
「このレストラン、予約してるの?予約してないとだめだよ。いいとこ知ってるから、案内するよ」
こいつ嘘ついてるな、思ったけど、ロジェは面白そうだと思ったらしく、どんどんついて先に行ってしまうので、仕方なくついて行った。
どう見てもレストランには見えない建物の二階の一室まで来ると、そこはレストランの様になっていて、観光客が一組、食事をしていた。メニューを見ると、最初に行こうとしていたレストランより高い感じだったし、とにかくこの状況が嫌だったので、なんとか断った。すると、「じゃあもっと安いところに行こう」と言われて、引き止めようとしたが、やっぱりロジェはついて行ってしまう。
今度はどう見ても普通の民家の台所という感じ。メニューすら無いけど、前のところより安かったし、もう面倒くさくなったのでここでいい事にした。居間のソファーに座って待たされている間、案内してくれた青年と少し話をしていると、最後には葉巻を売ろうとし始めた。やっぱりね、そんな事だろうと思った。
料理は、キューバの一般的な家庭料理ってこんな感じなんだろうな、というもの。豆ご飯と、カチカチに固い豚のソテーと、バナナチップとサラダ。あと、豚の脂肪を揚げたスナックのようなもの。味はうまいとは言えないけど、量はたっぷりあった。
歩き回って疲れていたので、しばらく座って今後の作戦を練る。翌日はオープニングだし、これからパーティーもいっぱいあるだろう、ということで、この日の夜は、オープンカフェでバンドの生演奏を聴きながら少し飲んで(自分はジュースだけど)、帰宅。
カフェでもレストランでも、そこら中で音楽がかかっていて、みんなうまい。 なんだって自分たちは民家の中の何の景色も見えない何も聞こえないところで食事してんだか。
ホテルへ帰ると、世話役の女の子(ここはフロントもないし、女の子が一人、掃除をしたりして働いている)が自分たちの帰りを待っていて、「こっちへ来て」と言うので、ついて行くと、ファーストフードのような弁当を出して来て、「食べて」と。
この日は日曜日で、ホテルのすぐ近くのレストランが休みだったので、用意してくれていたらしい。 腹は減っていなかったけど、食べられないことはないし、他に誰も帰って来てないみたいで、彼女は誰かが帰ってくるのをずっと待っていて、飲み物をついだり親切にしてくれたので断るのも悪い気がして、二度目の夕食を詰め込んだ。久しぶりに満腹。
昼間だれもいないホテルに一人で留守番しているのも暇なのだろう。一生懸命英語で話そうとしてくる。キューバ人は気さくな人が多い。








2006.3.25
ハバナ日記3
夜中の3時に目が覚めた。時差ぼけだ。オランダ時間で朝8時。
前日の夜と同じレストランに行って、朝食をとる。前日の夜と同じく量が少ない。3倍は食べれると思う。
キューバに合わせて胃の大きさを小さくしないと。
朝9時過ぎにワゴン車が来て、他の参加アーティストと乗り合わせて、ハバナ市街へ向かう。黒人のガイドの人がハバナの街について説明してくれる。それにしても、窓からの眺めは飽きることがない。
ハバナ中心部に着いて、ビエンナーレのオフィスがあるアートセンターに行くのかと思ったら、いきなりガイドツアー。宮殿を見たりハバナの歴史を知ったりするのもいいけど、それは今じゃなくていい。オープニングまで2日しかないのに、はやく作業に取りかかりたい。でもどこに行けばいいかもわからないからただついて行くしかない。自分の作品がどこにあるのかも自分の展示場所がどこなのかもわからない。







一通り見終わって、15分休憩だと言われて、だんだん気持ちは焦ってくるが、腹も減っているので何か食べ物を買いに行こうとするが、食べ物を買えそうな店がまず見当たらない。なんとか見つけたアイスクリームの店は、そこで座って食べないとならないということで、そんな時間はないのでとりあえずリンゴを一つ買った。何かを適当に買って適当に食べるというだけでも難しい。
一緒にいたアーティストがアートセンターの場所を知っているというので一緒について行き、なんとかアートセンターにたどり着く。歩いてすぐの所。
オフィスに行ってみるが、自分担当のキュレーターがいなくて、話がなかなか通じない。とりあえず、昨日運んでもらった作品がどこにあるのかを聞き出す。もう一度税関のチェックを受けなければならないということで、下の事務所に保管してあり、そこでチェックが終わるまでしばらく待機。昨日の夜には届いてたし、もうお昼になろうという時間だから、既に済んでるかとも思ったけど、そんな気配は全くなし。しばらく自分はそこから動けないので、ロジェに作品の設置場所がどこなのか聞きに行ってもらう。税関のおじさんは野球が好きらしく、日本対キューバの試合の話をしたそうだったけど、自分は中継を見ていないのであまり相手をしてあげられない。
そんなことより早くしてください。
空港でしたのと同じようにまた4枚の書類にサインをして、展示場所もカバニャ要塞という所だとわかり、今度はそこに行くためのバスを待つ。







カバニャ要塞はビエンナーレのメイン会場。要するに100組近いアーティストのほとんどがここで展示しているわけで、それだけでかくて部屋もいっぱいある。バスで敷地内を移動してるうちに、他のアーティストは自分の展示場所で降りて行くが、自分はどこで降りたらいいのかわからない。途中でバスが髭とサングラスと帽子のおじさんの居るところで止まり、彼がここの現場責任者だと紹介される。彼なら知っているはずと思い、そこで降りる事にする。すると中年のおばさんが後ろから出て来て、「こっちこっち」と身振りで示すので、着いて行くと、壁に「Goh Ideta」と書いた張り紙が貼ってあった。
ここだ!
たまには運がいい。おばちゃんの手振り付きスペイン語を解読する事によると、アジア人の僕を見て、この人だ、と思ったらしい。このおばちゃんは僕の場所のためのボランティアだかアシスタントだからしい。おばちゃんは全く英語を話せない。ロジェはスペイン語は話せないが、フランス語が話せるので、聞く分にはいくらか理解できる。
さて、やっと作業が出来る、と思ったけど、頼んでおいた脚立とドリルが用意されていない。この二つがないことには作業にならない。辞書を使って助手のおばちゃんに説明し、脚立とドリルを探してもらうことにして、とにかく腹ぺこなので、食事をとりに行く事にする。 レストランに行くと、他の作業中のアーティストたちもいて、その中に、見覚えのある顔が一人。ライクスアカデミーで会った事のある中国人アーティスト、シュアン。彼女も知った人に会えて、嬉しそうだ。もう何日も前から来てるが、作業が全く進んでいないらしい。彼女はビデオの展示なのでDVD一枚持って来ているだけだったが、用意されるはずの機材が揃わず、いろんなところにあたってみてはひたすら待っている状態。自分のもだんだん心配になる。残された時間は一日半もない。 レストランはメニュー等無く、食事?鶏肉?と聞かれて、うん、と言うと、鶏もも肉の炭火焼とご飯と少しの野菜ののった皿が運ばれてくる。でもそれが来るまでに2〜30分はかかる。でも今までと違ってなかなかうまかった。
食べているうちにオーストラリア人のアーティストのカップルに会う。彼らによると、今日夜にジャズのコンサートがあって、明日はバレエがあって、アーティストはみんなそういうイベントに招待されていて、彼らは招待券も持っていて、彼らはなんでも知っていた。 僕らは何も知らない。何も知らされていない。いったいどうなってんだ。でもとにかく展示作業を終わらせないと。
急いで食べ終わったところでもう2時過ぎ。展示場所にもどるとおばちゃんは座って待っていて、脚立とドリルの事を聞いてみると、さあ、という感じ。
自分で見つけるしかなさそうだ。
ロジェに探しに行ってもらってる間に、自分は位置決めをすることにする。
帰って来たロジェは、テーブルを一つ持って来た。そうやって自分で方法を見つけて動くしかない。でもそれだけでは届きたいところに手が届かない。ということでもう一つテーブルを持って来たけど、まだ届かない上に、かなり不安定。
仕方が無いからふたりでもっとましなものを探しに行くと、あった。使われていない足場。なんだよあるじゃないか。
誰かを見つけて持って行ってもいいか聞くのも時間がかかりそうだったので、そのまま持って来て使う事にする。
ドリルは向こうで使われているらしく、順番が回ってくるまで待つしかないようだったので、ドリルが来たらすぐに穴を開けられるように準備して、そこからドリルが来てからは、早かった。前に何度か展示した事のある作品だし、手順はわかっている。
おばちゃんは相変わらず座って見ているだけだったが、作業の早さに驚いていた。時々上からものを落としたりすると、拾って手渡してくれた。
夜7時頃になって、壁の角度が違うために行き詰まり、残りは翌日に残して、この日はここで終了にする。
帰りのバスがあるのかどうかよくわからなかったので、他に残って作業していた人たちが終わるのを待って、着いて行く事にする。
バスの中でシュアンに会い、ハバナ市街に戻って、夕食を一緒に食べに行こうとするが、どこに行ったらいいのかさっぱり見当もつかなかったので、ホテルに戻って食べる事にする。話しているとホテルの場所が似ている感じだったので。
タクシーを乗り合わせて着いたところは、見覚えの無い場所。でもここにも他のビエンナーレのアーティストが滞在していて、自分たちも便乗してここで夕食を食べさせてもらった。 そこから夜道を歩いて自分たちのホテルに戻り、就寝。いろいろあった一日だけど、作品はまあなんとかなりそうだ。








2006.3.24
ハバナ日記2
パリからハバナへは10時間半。
機内食は量が少ない上にまずい。日本ヨーロッパ間の飛行機にあるような各座席で映画を見れるモニターもない。飲み物のサービスも滅多に来ない。キューバの飛行機だから仕方ないか。
空港では、ビエンナーレのスタッフがビザの原本を持って待っていてくれたからほっとしたけど、入国審査は一人ひとりかなり時間がかかっていて、少し緊張した。
そして、預けた荷物がいつまでたっても出てこない。
いろんな面である程度待たされるんだろうってことは覚悟してたけど、それにしても遅い。周りで待っていた人は少しずつ自分の荷物を見つけてしだいにいなくなっていき、もうきっと自分の荷物は紛失したんだ。展示しに来たけど、作品は無しだ。と思っていたら、一番最後に出て来た。待つ事一時間半。それから作品の入ったスーツケースの中身をチェックして、税関。ここでも待たされる。でも税関の人達は、向こうの方で立ち話をしてる感じで、なんの為に待たされているんだかよくわからない。書類にサインして、やっとホテルに向かう。
この夜はカタログの完成パーティーがあるということだったが、空腹と疲労のため、ホテルにとどまる事にする。
最初に通された部屋は水が出なくて、部屋を変えてもらう。次の部屋は、水は出るけど、お湯はほとんど出ない。かなり冷たいシャワー。きっとこれがキューバ人の標準のシャワー温度なんだろうと思う事にする。それでも外は夕方になっても半袖で歩けるくらいの温度。それだけで嬉しい。 ホテルというよりは、ゲストハウスと行った感じ。少し離れたところのレストランで夕食。ハバナの市街中心地からは車で30分くらいの郊外。50年代のアメリカ製の車やバスが時々通り過ぎる。その景色と、エンジン音の中で、壊れかかったでこぼこな歩道を歩いていると、タイムマシーンで飛んで来たみたいな気持ちになる。
写真は翌日の朝、ホテルの前に停めてあった車。



2006.3.23
ハバナ日記1
ハバナビエンナーレに参加する事になり、キューバに行ってきました。
ハバナへの旅は、行く前から大変でした。
指定された航空会社の飛行機は、近くだとパリかロンドンからしか飛んでいないので、2日前に特急列車でパリに行きました。オランダ、ベルギー、フランス間の特急は、前もって予約すると安いんです。往復50ユーロ。
パリに着いて翌日、朝一番で航空会社のオフィスにチケットの代金を払いに行きました。デスクには誰も居なくて、どうする事もできず、しばらく待ちました。ここはもうハバナ時間なのかな、なんて思ったりしながら。
お姉さんが来て、事情を話すと、「支払いがされていないのでキャンセルされています」と言われました。
今払いに来たのに。それも電話で前もって確認しておいたのに。
まあでも結局は問題なくチケットを受け取りました。でも一緒に来てくれた友達(ロジェ)がフランス語話せなかったらかなり難しかった。航空会社のデスクのくせに、英語くらい話してくれよ。
その日はポンピドゥーを見たり、パレデトーキョーを見たりして、一日パリを観光して、翌日はいよいよキューバへ出発です。






〜2005.11.292007.3.20〜